安産の定義はない

shizenoukoku2006-03-25



私、行ってきました、母親学級に。
立会い出産を希望しているので、
あらかじめ母親学級に出席しなければならないのです。
会場の正面には「両親学級」と書いてあり、
なんだか変な感じでした。
出席者は15,6名ほどでしたが、そのうち私を含めて5組が
夫同伴でした。
夫が同伴するのって最近多いのですね〜。
(ってお前も同伴しとるがな)


冒頭で、助産婦さんが言いました。


「安産に定義はない」
「出産に対する正しい知識を持ち、
“不安”“恐怖”をなくす」
「前向きな姿勢で出産にのぞむ」
「出産、育児計画を立てる」
「あわてず落ち着いて行動する」


この言葉、なんにでも応用できますよね。


「良き人生に定義はない」
「物事に対する知識を持ち“不安”“恐怖”をなくす」
「前向きな姿勢でのぞむ」
「人生計画を立てる」
「あわてず落ち着いて行動する」


何に対しても、ことに臨んだときの姿勢というのは
変わらないんだな、と思いました。
思わぬ勉強になりました。


さらに、いろんな話を聞いていて思ったのは、
結局は、「身体に聴け!」なのだ、ということです。


陣痛が来る、
自分のリラックスできる体勢をとる、
生みやすい姿勢で出産する。


これ、言葉で言われても何のことやらわかりませんが、
女性は身体で経験できます。
妻の通っている病院は全国にその名をとどろかす
亀○総合病院なのですが、有名どころだけあって
ステマチックにお産を進めるんだろうと考えていました。


ところが、その期待はいい意味で裏切られました。
立会い出産、分娩姿勢、母子同室、母乳育児の可否などは、
原則として妊婦の自由で、様子を見ながら対応していく、というのです。
お金もその分しっかり取られるのですが、
希望してもできなかった時代に比べて選択の自由が増えました。


これから要求されるのは、私たちのしっかりした姿勢です。
病院側がこれだけ選択の自由を与えるということは
それだけ個人にかかる思考負担、
責任負担が重くなるということですが、
私にとってはすばらしい状況ですし、妻にとっても
楽しいようなので、問題はありません。


私は出産できるわけではないのですが、
妻のそばにいてやり、
妻が身体の声を聴くことの手助けを
してやらねばならんな、と思ったのでした。


午前中は家畑に夢中でした。
種まきはほぼ終了。
ミントの移植も終了。
農協に注文していた柿、柚子、月桂樹、ブルーベリーそして梅が
届いたので、来週も忙しくなりそうです。


画像:王国自然畑から移植したミント