自由という重荷

shizenoukoku2006-07-14



を読んでいる。
2巻目を読み終わった。


最後のほう、巫女とゲドが島を脱出するのだが、
そのシーンを描いた言葉。
少し長いが、引用する。



「彼女が今知り始めていたのは、
自由の重さだった。
自由は、それを担おうとする者にとって、
実に重い荷物である。
勝手の分からない大きな荷物である。
それは、決して気楽なものではない。
自由は与えられるものではなくて、
選択すべきものであり、しかもその選択は、
必ずしも容易なものではないのだ。」


私は、どうやら細かいことから大きなことまで、
「やってみたいな」と思うと
すぐ「やりたい、やります」と言ってしまうようだ。


しかし、生来の怠け者であるため、
やらねばならぬことが後手後手になってしまう。
考えてみれば、今までずっとこうだったのかもしれない。


どこかでこの連鎖を断ち切り、
そこから新しい出発をしたい。
目の前にある具体的なことを
一つずつつめていくことでしか
解決の道は歩めないだろう。


と、大上段に構えながら今日やったのは、
ヤギ牧場に犬3頭を移動させること(苦笑)。
夜ほえてうるさいのと、
散歩に連れていけていないので、
少しでも歩けるようにと、
番線を張ってその間だけ動けるようにした。


画像は、ちょうさんが番線を張ったところを
草刈してくれているところである。
これで少しは犬のストレスも解消されるといいのだが。


自分自身に能力がまだあるのなら、
もっと活性化させてゆこう。
この場に自分をどれだけ活かせるか、
そこに取り組んでゆこう。


好きな言葉がある。

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

「凡て労する者、重荷を負う者、われに来れ。
われ汝らを休ません。」
(マタイ傳第11章28節)


重荷を負っているような気がして休みたいときもあるけど、
それは自由を選択した重さなのだ。
さすれば、ただ進むのみ。